京都旅行
このコロナ禍でのびのびとなっておりましたが、去年年末、やっと2年越し待望の、家族旅行が叶いました。
行き先は「京都」。
コロナ前の京都は外国人旅行者でとても賑わっていて、宿泊先の予約もままならないとの噂でしたが、去年末は丁度オミクロン株がちょろりと蔓延の兆しを見せ始めた時期あたり―外国人の入国が一時規制された時期と重なったこともあり、ホテルも新幹線も、とても簡単に予約することができました。
個人的には今まで、旅行や仕事等、何度か訪れてきた「京都」だったのですが、今は古民家リノベーションに携わっている仕事柄、「本物の古建物を真摯に再確認したい」ーそんな気持ちでいっぱいでありました。
まずは宿泊エリア。
今回はあえて、あの画家・俵屋宗達(風神雷神図屏風が有名)が、扇子店・アトリエを構えていたという御所の西、「西陣エリア」のホテルを予約しました。
西陣エリアは、今でも一部、手工業・インダストリアルな街並みたたえつつ、かといえ今の市井の京都人の住宅地として、低層マンションその中に混在しており、「現代の都に住むライブ感」が抜群に感じられるエリアでした。
古い呉服屋をアートカフェに改装した店等、本物の隠れ家的な情緒あるHOTな店も、今やこのエリアに多々点在しております。
こちらを拠点に、今回は特に、「行ってみたかった京都」をめぐりました。
・仁和寺
―今回の旅の第一目的でした。
皇室とゆかりの深い寺(門跡寺院)であり、世界遺産にも登録されております。
特に中世まで、出家後の天皇が身を寄せる寺であったので、「御室御所」ともよばれ、
実際17世紀に京都御所から移築された「紫宸殿」は圧巻。その設えの上質さたるや、
噂通り、他のお寺とは、数段レベルが高い造りとなっておりました。
当然今回は入れてもらえる建物だけを、ありがたく、ゆっくり拝観するだけにとどめましたが、
実は今、こちらの奥の院(ただの拝観では観られない更に奥)として、「松林庵」という古い建物
をリノベーションした高級宿坊が設けられており、主に外国人富裕層客向けに、
一泊一人50万~100万という宿泊料で、「仁和寺という世界観を、1泊2日で独り占めできる」
体験宿泊メニューがあるとの事・・・。
残念ながら今後も体験できる機会はなさそうですが、
一人興味津々なのが正直な所です。
・建仁寺
京都最古の「禅寺」です。禅寺ということは武家の寺(鎌倉仏教)、というわけで、開山は栄西、開基(創始者)は源頼家(頼朝と正子の子)。なるほど・・・それで川向う(御所から鴨川を挟んで対岸)に位置するわけです。京都の歴史的な町づくりの習わしとして、鴨川より御所側が「天皇・藤原摂関家」が住む場所であり、それより身分の低い武士モノは、全てなぜか川向うに~というしきたり。なので、どんなに一斉を風靡した平家のお屋敷「六波羅」も川向う。こちらの建仁寺とは、目と鼻の先です。
もちろん建仁寺で有名なのは、先に言及した画家・俵屋宗達の風神雷神図屏風。今建仁寺には忠実に再現されたリプロダクションが拝観できるだけですが(本物は京都国立博物館にセキュリティーの為寄贈)、この建物内でみる俵屋は、ちょっとうるりと感動すら覚えました。
また、訪れてみて改めて「なんで禅寺の周りがお座敷街・遊郭?(祇園)」―とも思われましたが、結句、①京都の平地の限り ②川向うの規律を守る ③当時、徒歩とせいぜい牛車・馬が日常生活-と考えると、そう不思議なことではありません。
また後世・江戸時代、江戸建築界の2代建築大学(大棟梁職を配した)は、「建仁寺流」と「「四天王寺流」と言われ、こちらはその由緒ある日本の建築学の、元となった建築物でもあります。
とくとそのディティール迄、堪能拝観してまいりました。
・清明神社
拠点としていた西陣のホテルからも徒歩で数分でした。一条戻り橋もわたりながら、ゆっくりと向かい参拝。
時代はずっとさかのぼって、1004年、当時一世を風靡した有名な陰陽師(当時は立派な陰陽寮・天文博士で公務員です)安倍晴明の死後、氏の屋敷跡に作られた、彼と彼の功績を祀る神社です。実際当時、夜灯も行灯位しかなく、陰影礼賛さながらの時代背景にあって、「闇」とは色々な目に見えぬ神秘的な神・神獣・霊・悪霊・鬼・呪い・呪詛等が飛び交っているかのような世界感であったのでしょう。実際、当時これらの「見えない神秘」は、オカルト扱いではありませんでした。
「式神・呪詛を他人に飛ばした廉(罪)」で、流罪の刑に処された高官も沢山おりました。
こんなに夜も明るくなった現代でも、未だにどこにでも「闇」は存在します。現代の闇とはなにか?
-などをつらつら考えながら、色々と力をいただける場所でもあります。
その後、時代がさかのぼり、豊臣秀吉が聚楽第(消滅してしまいましたが)を構えたのもこの地でした。そして、聚楽第内のちょうど北東の角にあたるのが偶然にもこの神社の場所(当時は一時神社はすたれてなくなっておりました)。そして秀吉のプランによりこの将にこの位置に、千利休の屋敷が設けられていたのです。
北東の角-つまり聚楽第から見たら「鬼門」の方角。・・・これは果たして偶然だったのか?
清明神社では、12月頭から事前予約し、家族分とくと祈祷してもらってまいりました。
不思議と何だか体内から悪いモノがでて、「浄化」されたような気がいたしました。
ここで祈祷してもらうのが我が積年の夢・・・もちろん「浄化されたような気持ち」だけだったのでしょうが、何分夢が叶ってすごく嬉しかった一日でした。
その後、この旅から戻ってより、不思議と何の歴史小説を読んでも、何の歴史ドラマを見ても、お陰様で、以前よりもっともっと臨場感あふれ、より一層色々な作品を楽しめるようになっている昨今です。
清明さんに「浄化」してもらったからでしょうか?(笑)
また、京都の「次はもっとあそこのお寺も~あそこの神社も・・・」と等と日々、京都再来への欲ばかりが募るような、その果てしなさに自ら呆れかえるような昨今です。
ヴィンテージ事業部
古民家リノベーションプランナー
中島