もうすぐ東日本大震災から14年

その地震は、2011年平成23年3月11日金曜日14:46に発生しました。
都営浅草線の蔵前にあったダイチの事務所ビルにいて、2階の打合せスペ-スの植物にお水をあげていました。古いビルなので、風で窓がガタガタ言っているのかと思ったら揺れていたので、びっくりして、2階にある事務室に戻ったら、みんな机の下に隠れていました。ビルが倒壊するかもとの事で、外に出ることを勧められましたが、
女性スタッフはそのまま残りました。夕方になり、梶本店長に車で、送ってもらう事になりましたが、道は混んでいて、なかなか進みません。が歩くよりは大変助かりました。外出中のメンバ-も施工管理の人に送ってもらうなどしたそうです。
近くの高輪まで送ってもらって、プリンスホテルを経由して帰って来ましたが、
帰宅困難者とかが沢山ロビーで、休んでおりました。何かあったら親切なここに来たら良いのだと思いました。帰って家の中の散乱した様子には言葉を失いました。
津波の状況など、皆さんもショキングな映像をご覧になったと思いますが、
その映像を見るにつけ、あまりの状況に、気の毒で、言葉を失いました。
学生時代の友人が浪江(福島の)にいて、お休みの時など良く遊びに行かせてもらっていました。海水浴をする為に、海辺に行かせて貰いましたが、原発が印象的でした。地震の後、直ぐに原発の事が心配になりました。
昔は、浪江から新鮮な海産物など送らせてもらい両親にも喜んで貰っておりました。
事務所周辺はビルが多いのですが、リフォ-ムの仕事なので、それから暫くは、
ビルに亀裂が入ったとかの問い合わせが多かったように思います。
家も戸建てなので、外壁に貼ってあるタイルなどの一部が剝がれていました。
大船渡に住んでいるお友達もいるのですが、東日本大震災の後の余震で、度々、
だいぶ怖い思いをされたようです。
被害状況を目にする度に、胸がいっぱいになってしまいます。
家では家具の配置を変えましたし、枕元には、懐中電灯や、ヘルメット、また家の中で何か踏みつけても良いような履物を用意しました。非常持ち出し袋も用意しました。それらを使わないに越したことはないと願いながら、、
未曽有の大災害でしたが、平常時から、「災害が起こったら、、」と言う事を想定して、避難路、場所を確保することが今後の減災には必要不可欠ではないでしょうか。